阿波神社様 土御門上皇を知っていただく機会を創出致します。
先日、約1年(平成26年10月)ぶりに参拝させていただきました。
何かメッセージがあるそうで
微力ながら阿波神社「第八十三代土御門天皇を御祭神」の宣伝をさせていただきます。
微力ながら阿波神社「第八十三代土御門天皇を御祭神」の宣伝をさせていただきます。
阿波神社について |
阿波神社略記
阿波神社は、第八十三代土御門天皇を御祭神として奉祀致し ております。土御門天皇は第八十二代後鳥羽天皇の第一皇子 (御諱為仁親王)として、建久六年十二月二日(一一九五年) に御生誕、同九年三月三日四歳で御即位、元久二年一月三日 (一二○五年)十一歳で元服されました。
承元四年十一月二十五日(一二一○年)十六歳のとき、後鳥 羽上皇の御希望により、御在位十三年で、第三皇子守成親王 (第八十四代順徳天皇)に譲位されました。
承久の乱(承久三年[一二二一年])により後鳥羽上皇は隠 岐へ、順徳天皇は佐渡に流されたため、土御門上皇のみ都にと どまることを由とせず、自ら御希望により同年十月土佐の畑に ご遷幸されました。
土佐にご在留中北条氏は度々御帰京をすす められましたが応じられないため、せめて少しでも京都に近い 所として、貞応二年五月二十七日(一二二三年)土佐ご駐留約 一年半後阿波にご遷幸、約九年間御滞在されましたが、寛喜三 年十月十一日(一二三一年)三十七歳で当地におきまして崩御 され、御火葬されました。
上皇は大変温和であり、御情が深く、争いごとは好まれず、 人の喜び、悲しみ等は良く理解されるご性格でありました。
又、和歌には造詣が深く、藤原家隆や定家を師と仰ぎ、その 歌風は流麗な新古今風であり、家隆の歌調であると云われてお ります。
土佐へ御遷幸の途中、須磨から船で四国へ渡られるとき、又 土佐での御製も多く
撮影:平成26年10月8日
須磨の浦いはうつなみの音はして
人をとどむる関はなかりき
吹く風のめにみぬかたを都とて
しのぷもくるしゆふぐれの空
雲居よりやどりなれにしそでの月
いかにはれる涙とか見る
秋ごとにわすれぬ雁のこゑ聞けぱ
たちわかれにし人ぞ恋しき
「阿波の国」と題した
(ア)秋風の (ハ)はらいし宿は (ノ)野となりて
(ク)ぐずのうら葉ぞ (ニ)庭にのこれる
吹く風のめにみぬかたを都とて
しのぷもくるしゆふぐれの空
雲居よりやどりなれにしそでの月
いかにはれる涙とか見る
秋ごとにわすれぬ雁のこゑ聞けぱ
たちわかれにし人ぞ恋しき
「阿波の国」と題した
(ア)秋風の (ハ)はらいし宿は (ノ)野となりて
(ク)ぐずのうら葉ぞ (ニ)庭にのこれる
本県におきましては、上皇の御懿徳を顕揚し、かつ御心霊を 慰め奉るため神砥院の指導の下、県社寺課の設計監督により皇 紀二千六百年の記念事業として、全県民の浄財と勤労奉仕約七 万名により、社殿の規模が狭小であった丸山神社を改築し、阿 波神社と改称して、昭和十八年十月に竣工、同年十一月県議会 は四国唯一の官幣大社に昇格方奏上書を提出、内定されました が、終戦により日本全国の神社社格の廃止により、現在に至っ ております。
阿波神社様へ、ご参拝 足をお運びください。
大社へ昇格していただきたいです。 神宮へ
〒779-0303 徳島県鳴門市大麻町池谷大石85−1 地図 088-689-0024 |